鳳凰 (正面欄間)
昔、中国の人が考えだした、想像上の鳥で、たいへんおめでたい鳥とされています。(くわしいことはP57)
本のスキャン(仮)p.107
鳳凰 調査中「くわしいことはP57」
出典:森の祭り(森の巻) p.107(書き起こし・書き起こし(未校正))
屋台をめぐる / 森の祭り(旧森町)
| 読み | えんかいしゃ(かわらまち) |
|---|---|
| 落成年 | 昭和2年10月 / 大改修 昭和56年10月 |
| 社名の由来 | 明治の初期まで、水量豊富であった太田川は荷物を運ぶ舟が福田港まで行き来していたという。太田川に沿った町内であるので川を海に見立てて名付けられた。 |
| 工匠 | 太田寅太郎、太田亮平、太田徳太郎他(川原町)/改修 山本庄平(栄町) |
| 彫刻 | 早瀬利三郎(初代朝雲=当時掛川市在住)/支輪(改修時)志村孝士(二代目流張=福井県三国町)/中山亮策(川原町) |
| 塗装 | 村松定助(川原町) |
| 車輪 | 森田健次郎(川原町) |
| 御廉の社名揮毫 | 記載なし |
| 備考 | 現屋台は二代目。初代は明治19年に10円50銭5厘で建造された。最小世帯数の町内であるため、昭和56年の大改造は、大変な事業であった。町民の意気と団結によって一新した屋台を大切に扱う気配りは大変なものである。 |
出典:森の祭り(森の巻) p.106
太田川は明治初期まで豊かな水をたたえ、荷を積んだ船が福田港との間を往来していました。川に沿って発展したこの町の屋台ということで、川を海に見立てて名付けられたそうです。 最小世帯の町内だったので昭和56年に行われた大改造は並々ならぬ大事業でした。町民の誇りと結束によって蘇った屋台は、その後も深い愛着と細やかな気配りのもと、大切に守り伝えられています。 ・現屋台は二代目。初代は明治19年に10円50銭5厘で建造 工匠:太田寅太郎、太田亮平、太田徳太郎他(川原町)、改修 山本庄平(栄町) 彫刻:早瀬利三郎(初代朝雲=当時掛川市在住)、支輪(改修時):志村孝士(二代目流張=福井県三国町)、中山亮策(川原町) 塗装:村松定助(川原町) 車輪:森田健次郎(川原町)
昔、中国の人が考えだした、想像上の鳥で、たいへんおめでたい鳥とされています。(くわしいことはP57)
出典:森の祭り(森の巻) p.107(書き起こし・書き起こし(未校正))
この仙人の名前がはっきりしません。龍と関係の深い仙人は、大勢います。「馬師皇」または、「師門あるいは孔甲」ではないかと仮定して書いてみました。
馬師皇……黄帝の頃の馬の医者で、どんな馬の病気でもたちどころに治してしまうと言われていました。
ある日、一匹の龍が空から降りてきて師皇にむかって耳を垂れ口を開けました。「この龍は病気で、私が治せることを知ってやってきたにちがいない」そう思った師皇は、唇の下に鍼をさしてやり、煎じ薬を口のなかへ入れて飲ませてやりました。
病気が治った龍は、その後も病気になるたびに波の中から出てきては治療してもらいました。ところがある朝、やってきた龍は、師皇を背中に乗せると、どこともなく姿を消してしまったということです。
師門あるいは孔甲……師門は桃や李の花びらを食用にしていました。ある時、夏の国の孔甲の龍の飼育係に雇われました。しかし、孔甲は、自分の思う通りに龍が使えないので、師門を殺して外に埋めてしまいました。ある朝、ものすごい風雨が起こりこれが止んだときには、山の樹木はことごとく焼け焦げていました。孔甲は身を清めて祈りましたが、家に帰る途中で死んでしまったということです。
(この彫刻の下絵だけは、当時仲横町在住の原氏のもの)
出典:森の祭り(森の巻) p.107(書き起こし・書き起こし(未校正))
七福神の中でただ一人の、中国に実在した人物を神に見立てた福の神であります。唐時代の禅僧で「契此(かいし)」というのが本当の名前ですが、その楽天的な性格や、子供達を可愛がり、常に、にこにこしていることから、一般には「布袋和尚(ホテイオショウ)」と呼ばれて親しまれていたということです。
常に、杖をもって布袋を荷ない、半裸で大きなお腹を出して福々しい顔をした姿を見た人々は弥勒(みろくぼさつ)の化身であると言って尊んだということです。(七福神についてはP50)
出典:森の祭り(森の巻) p.108(書き起こし・書き起こし(未校正))
この仙人も、名前や、いわれがはっきりわかりません。葛飾北斎の描いた絵の中に傘に乗った仙人があり、「傘風子(さんぶうし)」と記入されています。たぶん、この仙人の呼び名であると思われますが、それ以外はまったくわかりません。(ご存じの方はお教えください)
出典:森の祭り(森の巻) p.108(書き起こし・書き起こし(未校正))
(キャプションのみ)
出典:森の祭り(森の巻) p.108(書き起こし・書き起こし(未校正))
中国を流れる黄河の上流に「龍門」という場所がありました。そこは急流の中でも特に流れが激しく、滝のようになっていました。いろいろな魚が、なんとかしてそこを上流に上ろうとするけれど、強い水の勢いに負けてどれも上ることはできません。
魚の中で一番元気がよいという「鯉」でさえもほとんど上ることができません。それでも、もし上りきれる鯉があったなら、その鯉はたちまち「龍」になって天に昇ることができるといわれています。
これは、人々が、困難に打ち勝って立身出世できるということを表したものであるし、また、この言い伝えからできたのが、「登龍門」という言葉です。この言葉は自分の立身出世の願いをかなえるために、どうしてもさけられないたいへんな「難関(困難)」を意味しているものです。
この画は、人々の立身出世を祈るとともに、町内の子供たちが「鯉」のように元気に育ってほしいという願いがこめられているものと思われます。
なお、この「鯉の滝昇り」は、森町の「武家だこ」にもよく描かれているものです。
出典:森の祭り(森の巻) p.109(書き起こし・書き起こし(未校正))
魚をとる手長、足長(くわしくはP7)
出典:森の祭り(森の巻) p.109(書き起こし・書き起こし(未校正))
(キャプションのみ)
出典:森の祭り(森の巻) p.110-111(書き起こし・書き起こし(未校正))
小鬼を追いかける鍾馗神(くわしくは P75)
出典:森の祭り(森の巻) p.112(書き起こし・書き起こし(未校正))