鍾馗神
中国、唐の時代、王様「玄宗皇帝」が、いまでいうマラリアという熱病にかかった時のことです。ひどい熱で、死の苦しみに会っているとき、皇帝の夢のなかに突然、大小二匹の鬼が現われました。その内の小鬼が、皇帝の大切にしている玉笛と、妻、楊貴妃の香袋を盗んで逃げだしました。これを見た大鬼が小鬼をおいかけて捕まえ食い殺し、玉笛と香袋を皇帝に返してくれました。喜んだ皇帝が、大鬼に名を聞くと「私は、鍾馗といい、もとは武芸者であった。」と答えました。
この時夢から醒めた皇帝は、不思議にも熱が下がり間もなく全快しました。
喜んだ皇帝は、絵描きを呼びその鍾馗の像を描かせたということです。
このことから、鍾馗の像を掲げて邪悪を払う習慣が始まったといわれます。日本では、室町時代の頃から鍾馗に対する信仰が流行し始めました。悪鬼や疫病を払う神として、その頃最も恐れられていた病気「痘そう」避けに顔を赤く塗った鍾馗像を祀ったり、小鬼を貧乏神と考え、貧乏神を追い払う貧乏避けの神として祀ったりされました。
端午の節句(五月五日)に飾るのぼり旗に鍾馗が描かれたり、武者人形にも鍾馗がかたどられたものが飾られ男の子の成長を祝う習慣が今も残っています。
この解説が載っている箇所:湧水社(南町) 森の巻 p.75、宝僊社(西組) 南の巻 p.45
書き起こし・書き起こし(未校正)。文章は各箇所でほぼ同じ内容。細かな表記の違いは各屋台のページで確認できます。