屋台に刻まれた物語English

屋台をめぐる / 森の祭り(旧森町)

明開社 明治町

明開社(明治町)の屋台
森の祭りアーカイヴ「森町の屋台 明治町 明開社」(投稿日 2025-09-11)
この写真の説明

明治に入って文明開化とともに開けた町名である明治町から「明開社」と名付けられました。森の祭り独特の勇壮、優美なスタイル、渋み、優雅さを備え、他の町の屋台建設の際によく参考にされています。・現在の屋台は2代目、当時の金額にして5,000円くらいかかった・塗装は二度塗り、木組は独特な工夫がされている・支輪の龍が、一続きになっている工匠:小栗富太郎(明治町)・内藤新平(新町) 他・設計者 加藤五郎(明治町)彫刻:早瀬利三郎(初代朝雲=当時掛川市在住)・彫刻原図 安西壮一(明治町)塗装:村松定助(川原町)・補修時:村松菊郎(南町)車輪:森田健次郎(川原町)

基本情報

読みめいかいしゃ(めいじちょう)
落成年昭和9年 / 一部補修 昭和58年
社名の由来明治時代に入って文明開化とともに開けた町名、明治町から「明開社」と名付けた。
工匠小栗富太郎(明治町)・内藤新平(新町)他/設計者 加藤五郎(明治町)
彫刻早瀬利三郎(初代朝雲=当時掛川市在住)/彫刻原図 安西壮一(明治町)
塗装村松定助(川原町)/補修時 村松菊郎(南町)
車輪森田健次郎(川原町)
御廉の社名揮毫記載なし
備考現在の屋台は2代目。当時の金額で5000円位かかった。塗装は、二度塗り、木組は独特な工夫がされている。支輪の龍が、一続きになっている。森の祭り独特の勇壮、優美なスタイル、渋み、優雅さをそなえた色調をもち他の屋台建設の際、よく見学・参考にされた。

出典:森の祭り(森の巻) p.34

この屋台の写真(2枚)

彫刻

天の岩戸 (御簾脇、左右)

神様たちが住む高天原(タカマガハラ)は天照大神(アマテラスオオミカミ)がよく治めていたために平和な毎日を送っていました。

しかし、弟の須佐之男命(スサノオノミコト)は暴れ者で、その、乱暴は次第にひどくなり田畑を荒らしたり、水路をこわしたり、ついには織物をしている小屋に、火をつけたり、皮を剥いだ馬を投げ込んだりという事件を起こしました。

これを見たアマテラスオオミカミはたいへんに怒り、難を避け「天の岩戸」という洞窟の中に姿を隠し、堅くその戸を閉ざしてしまいました。そのために天地はすべて真っ暗やみとなり不幸や災害が続々と発生しだしました。

これは困ったと、神々はオオミカミを岩戸から出す方法を相談しました。

にわとりをどっさり集めて岩戸の前でひっきりなしに鳴かせました。岩戸の前へ樽を伏せて、天宇受女命(アメノウズメノミコト)という女神が、かつらの蔓をたすきにかけ、かつらの葉を髪飾りにし、樽の上で踊り始めました。まるで気違いになったかのように足をとんとん踏み鳴らしながららくるくると踊り狂いました。そのうちに、ひもが解け裸になってしまいました、それでも踊りはやめません。何千人という神様たちは一度にどっと吹き出し、転がり回って笑いました。にわとりは声をそろえてコケコッコーと鳴き立てます。

アマテラスオオミカミは何事が起ったのかと、岩戸を細く開けて外をのぞきました。それを見たウズメノミコトは踊りながら「八咫の鏡」をその前に突き出しました。鏡に映った自分の顔を見たオオミカミは「誰だろう?」と岩戸をもう少し開けました。

この時、岩戸のそばで待ち構えていた手力男命(タヂカラオノミコト)という力持ちの神様が岩戸を引き開け、オオミカミの手をとっていきなり外へ引き出してしまいました。

そこで、世界中、やっと、夜が明け悪神は逃げ去り、明るい世の中になりました。スサノオノミコトは高天原から下界へ追い払われました。

出典:森の祭り(森の巻) p.35(書き起こし・書き起こし(未校正))

浦島太郎 (後欄間)

昔、浦島太郎という人がありました。ある日、浜を通ると、子供が大ぜいで亀をつかまえて、おもちゃにしています。かわいそうに思った浦島は、子供からその亀を買って海へ放してやりました。

それから二三日たって、浦島が舟に乗って つりをしていると、大きな亀が出てきて、「この間はありがとうございました。お礼に竜宮へつれていって上げましょう。背中へお乗りください。」と言いました。

浦島がよろこんで亀に乗ると、亀はどんどんと海の中へ入って行き、間もなく竜宮へつきました。

竜宮では、乙姫さまが浦島の来たのをよろこんで、毎日いろいろなごちそうをしたり、いろいろなおどりを見せてくれたりしました。浦島は面白がって、家へ帰るのも忘れていましたが、そのうちに家に帰りたくなってきました。

「いろいろお世話になりました。あまり長くなりますので、そろそろ帰ることにしたいと思います。」と言うと、乙姫は「それはまことに残念でございます。それでは、この玉手箱をおみやげにさし上げます、どんなことがあってもふたを開けてはいけませんよ。」と言ってきれいな箱を渡してくれました。浦島はまた、亀に乗って海の上へ出てきました。

村へ帰ってみておどろきました。

父も母も死んでしまって、家も無くなっていて、様子がすっかり変わっています。知っているものは一人もいません。悲しくてたまらなくなった浦島は我を忘れて、約束を破って、玉手箱を開けました。開けると、中から白い煙がぱっと出て、浦島はたちまちしらがのおじいさんになってしまいました。

出典:森の祭り(森の巻) p.36(書き起こし・書き起こし(未校正))

鍾馗の豆まき (正面欄間)

豆まきをして邪鬼(たたりをする悪い神・貧乏神)を追い払う鍾馗神。(くわしくは P75)

出典:森の祭り(森の巻) p.36(書き起こし・書き起こし(未校正))

曽我五郎 (右欄間)

富士の裾野で、父のかたき工藤祐経を討った、曽我五郎・十郎の兄弟の話は、歌舞伎の中でも題材として、いくつか取り上げられています。

「矢の根」という歌舞伎も、曽我兄弟の敵討をヒントにつくられた芝居であります。

「矢の根」……曽我五郎時致(ときむね)が、ふるさとの古井という所に帰った時のことです。父の仇を討つために、矢の根(やじり)を砥石でといでいるところへ、大薩摩主膳太夫が年始のあいさつにきてお年玉に末広(扇子)と宝船の画を置いていきました。

五郎は、敵の工藤祐経の首をとる初夢でも見ようと宝船の画を敷いて、砥石を枕にうたた寝を始めます。(昔は、縁起のいい画を枕の下に入れて寝ると、いい初夢が見られるという言い伝えがあった)

すると、夢の中に兄の十郎祐成(すけなり)が現われ、「自分は今、仇の工藤祐経のとりこになり、館にとじこめられている。早く助けに来てくれ。」というと同時に消えてしまいました。はっとして、夢から覚めた五郎は、飛び起きると、とるものもとりあえず、ちょうど通りかかった大根売り馬士、畑谷ヱ門から大根を積んだ馬を奪いとるが早いか、それにまたがり、大根を鞭にして工藤の館へと駆け出します。

出典:森の祭り(森の巻) p.37(書き起こし・書き起こし(未校正))

雷神 (脇障子、左右)

かみなりが、太鼓を海に落としてしまいました。そこで、錨を降ろして太鼓を拾おうとします。あわてていたために、自分も雲から足を踏みはずし落ちてしまいました。 運よく、くも(雲)の巣に引っ掛かって助かりました。

出典:森の祭り(森の巻) p.37(書き起こし・書き起こし(未校正))

国性爺合戦、和唐内の虎退治? (左欄間)

この題名がはっきりわかりません。

「加藤清正の虎退治」、「鍾馗の虎退治」、「国性爺合戦の和唐内」など、いろいろ言われますがどれもしっくりしません。「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」について記します。

この話は、中国からの亡命者、鄭芝龍と日本人の妻の間に1625年九州平戸で生まれた「田川福松」をモデルにして作られた歌舞伎の作品の一場面です。

戦乱の唐の国から日本へ渡った中国人「老一官」は、日本人の娘と結婚し男の子をもうけます。その子の名は「和唐内(わとうない)」。

和唐内が成長した頃、中国では大明国と韃靼国が争っていることを聞き、父の祖国である大明国を助けようと年老いた両親とともに中国へ渡ります。

目立たないようにと、父とは別れ、母とともに別な道を進んでいくと、恐ろしい虎の住むという「千里ケ竹」という場所にさしかかりました。案の定、牙をむいた虎が襲ってきました。しかし、和唐内は、天照皇大神宮のお札の力を借りてこれらの虎を退治してしまいました。 この一件によって和唐内の名は唐の国中に広がっていきました。

後に、明王室から姓を賜り国性爺鄭成功と名乗り、母親や異母姉を失った悲しみに耐えつつ大明国のために力を尽くしました。

出典:森の祭り(森の巻) p.38(書き起こし・書き起こし(未校正))

獅子 (木鼻)

最初はくす玉の中が籠彫りで、動くようになっていたが、壊れたため昭和34年に、浦部清風作のものと換えた。

出典:森の祭り(森の巻) p.38(書き起こし・書き起こし(未校正))

龍 (支輪)

(キャプションのみ)

出典:森の祭り(森の巻) p.38-39(書き起こし・書き起こし(未校正))

腰長押

(下絵)