風神・雷神 (御簾脇、左右)
人間の力ではどうにもできない自然の大きな力、人々はこれらはすべて神様の力であるとして、恐れ、敬って来ました。地震、雷、台風、大雨、日照り、山崩れなどすべて神様の怒りであると考えてきたわけです。そこで、人々は昔から、神様を祭り、敬うことによってこれらの災難をまぬがれ、家族や村人の安全や繁栄を図ろうとしてきました。
風神・雷神ともに自然の大きな力である風と雷を神と見立てたもので、恐ろしい大きな力を発揮するもの、得体の知れないものの力として、そこに鬼のスタイルが生まれたのではないでしょうか。
虎の皮のふんどしを身につけ、連鼓を背負った雷神は「かみなり様」と呼ばれ、水・火の両面を司り、雨を呼ぶとも言われています。雷神の出す光は「稲妻」と言われて、稲に関係し豊作をもたらすものとして、これを祭り、豊作を約束づけようとしたものとも考えられます。
出典:森の祭り(森の巻) p.27(書き起こし・書き起こし(未校正))
竹に虎 (後欄間)
虎はよく恐ろしいものの代表とされます。しかし、「悪い政治は、虎よりも恐い」という言葉もあるそうです。
出典:森の祭り(森の巻) p.27(書き起こし・書き起こし(未校正))
司馬温公(瓶割り小僧) (正面欄間)
司馬光(1019年〜1086年)は、中国山西省の人。かなり名前の知られた家の子供で、小さいうちからその頭のよさは有名でした。
ある日のこと、子供同士、庭で遊んでいると、一人が誤って大きな瓶の中へ落ちてしまいました。子供達はみんな大慌て、大声で助けを呼ぶもの、大人の人を呼びに行こうとするもの、どうしていいかわからず、うろうろするもの・・・。その中で、司馬光は、ひとつも慌てることなく、おもむろに、近くにあった石を拾うと大瓶にむかって、力一杯投げ付けました。大きな音がして瓶は割れ、勢いよく流れ出る水といっしょに落ちた子供も流れ出て助けられました。
司馬光は、7歳の頃からむずかしい本を読み一生懸命勉強に励みました。しかし、暗記をすることが苦手でしたので、他の兄弟たちが休んでいる間も一人で繰り返し繰り返し本を読んで暗記に努めました。そのために、本はばらばらに分解してしまったということです。このような努力の結果、やがて20歳の頃、むつかしい役人の試験に見事に合格することができました。しかし、彼は決していばったり、自慢したりせず、温厚な人柄であったということです。
その後、歴史の本を書いたり、政治にかかわった事件に巻き込まれたりしながら、一生を送ったということです。
本のスキャン(仮)p.28司馬温公(瓶割り小僧) 調査中
欄間 正面 解説 p.28
写真のキャプション「瓶を割って子供を助ける司馬温公」
出典:森の祭り(森の巻) p.28(書き起こし・書き起こし(未校正))
韓信(かんしん)の股くぐり (右欄間)
昔、中国に、韓信という男がいた。家が貧しく、職もなく、ぶらぶらと毎日を過ごし、金もないので他人に食物をめぐんでもらっては暮らしていた。やることもないので釣りでもして暇をつぶす。こんな様子なのでみんなから馬鹿にされ、いやがられていた。
肉屋で働いていた或る若者は、いつもこの韓信を鹿にしていた。
ある日のこと、道で韓信と出会ったとき通せんぼをし、馬鹿にして大声で言った。「おい、臆病者!でっかい身体で、刀はさしているが、何にもできないんだろう。できるものなら、その刀で 俺にはむかってこい。俺に刺し殺されたくなかったら、俺の股のしたをくぐって通っていけ。」
韓信という男、ぐっと歯をくいしばると四ん這いになって股くぐりをしてしまった。見ていた人々は「やーい、臆病者!馬鹿者!」と、みんな韓信をあざけり笑った。 しかし、男は平気であった。それは、「私には、一生をかけた大きな望みがある。つまらないことで争って怪我をしたり、命を落としたりするより、少しぐらい恥をかいても良い、ここは我慢をしよう。」と考えていたからであった。
やがて、中国で、項羽と劉邦という二人の英雄が争っている時、この男、最初は項羽の軍に身を寄せていましたが、先を見通し、今度は劉邦の軍に身を寄せました。そこで、彼はたいへん多くの手柄をたてて、後には、ついに、楚という国の王にまでなりました。
王になった韓信は、若いとき食物をよくめぐんでくれた洗濯婆さんに厚くお礼をし、股をくぐらせた若者を呼び寄せ、自分の国の軍の中尉という役につけたということです。
本のスキャン(仮)p.29韓信(かんしん)の股くぐり 確認済み
欄間 右 解説 p.29
表記は「股くぐり」(ご確認済み)。写真のキャプション「みんなから馬鹿にされながら、肉屋の若者の股をくぐる韓信」
出典:森の祭り(森の巻) p.29(書き起こし・書き起こし(未校正))
青砥藤綱(あおとふじつな) (左欄間)
鎌倉時代中ごろ、青砥藤綱という武士がいました。幕府の重要な役につき、豊かな生活ができる身分でしたが、ぜいたくをせず節約をし、貧しい人には惜し気もなくめぐんでやるような人でした。
ある夜、藤綱が役所からの帰りがけ、滑川の側を歩いているとき誤って袋の中に入れておいた十文のお金を川の中に落としてしまいました。
十文というお金は、それこそ大騒ぎするほど大した金額ではありません。しかし藤綱は、「これはたいへん」と、家来に町へ行って、松明(たいまつ)を十本、五十文で買ってこさせ、それで照らしながら川に入り川の底をていねいに探し始めました。
それを見た人々は「えっ、たった十文を探すのに十本も松明を買って、夢中になっているよ」「きっと、すごくけちんぼうな人にちがいない」と言い合いました。
けれども、何を言われても平気で、探しまわり、ついに十文を見つけだしました。
その後に、この話をきいた人たちは、「十文のお金を五十文もかけて探すなんて馬鹿な話だ、それなら、落としたままにしておいたほうがよっぽど得ではないか。」と笑いました。
その人たちに、藤綱はこのように言ったということです。
「あなたがたは考えが足りないのだよ。あの時、もし、私が拾わずにいれば、十文のお金が何も役に立たずに川底に捨てられたまま、なくなってしまう。私が松明屋に払った五十文は、なくなってしまう訳ではなく、松明屋を喜ばせたうえに、松明屋がそれを使うことができる。落とした十文もみつけて使える、これで、お金が一文もむだにならなかったことになったのだよ。」と。
本のスキャン(仮)p.30青砥藤綱(あおとふじつな) 調査中
欄間 左 解説 p.30
写真のキャプション「松明をつけて、川に落とした十文の銭を探す青砥藤綱」
出典:森の祭り(森の巻) p.30(書き起こし・書き起こし(未校正))