屋台に刻まれた物語English

屋台をめぐる / 南(飯田(賀茂神社))

福明社 福田地

福明社(福田地)の屋台
本のスキャン(仮) 屋台物語 南の巻 扉 p.93(1994年刊)

基本情報

読みふくめいしゃ(ふくでんじ)
落成年昭和55年10月
社名の由来福田地の「福」と、加茂神社大明神の「明」を組合せ、町内会全体が明るく幸福であるように祈って命名した。
工匠深田勝馬(森町福田地)
彫刻伊藤章晴(三ケ日町)
塗装村上健太郎(浜松市竜禅寺町)
車輪和田猛(天竜市山東)
御廉の社名揮毫相羽えつ子(森町福田地)
備考建具:井口時夫(森町南町)。屋台の左右、後欄間には彫刻を入れず、駿河蒔絵「松竹梅」を施してある。屋台前面、左右腰長押、支輪の彫刻材料はすべて欅を使用している。現屋台は三代目といわれている。初代は明治時代まで引き回されていたといわれているのみで詳細は不明。二代目は、昭和54年に地区の青年有志が手作り屋台を製作し引き回したもので、1年引き回したのみで現屋台にその役割を引継ぎ解体された。

出典:屋台物語 南の巻 p.94

彫刻

七福神③毘沙門天 (御簾脇、右)

インドで「須弥山(しゅみせん)」(仏教の中で、世界の中心にそびえたつという山のこと、または寺院で仏像を安置する壇)を守る四天王の一人で別の名を「多聞天(たもんてん)」とも言い、北の守護神とされています。

姿は、左手に仏塔を持ち、右手には鉾を持って邪鬼を踏み付けています。

このように仏法を守る武神として、初めは国を守るためや、戦に勝つために祀られていましたが、次第に、福徳増進の目的でも祀られるようになり、七福神の中に組み入れられるようになったと言われています。

出典:屋台物語 南の巻 p.95(書き起こし・書き起こし(未校正))

七福神④福禄寿 (御簾脇、左)

中国の宋の時代に、南北星の化身としてこの世に現われたという道士(道教の神様、仙人)であると言われています。

背が低く、頭が長く美しい髭を蓄えていて、常に経巻を結びつけた杖を持ち、多く鶴を従えています。

年は数千歳で長寿をつかさどるおめでたい神として七福神の中に入ってきたものと思われます。

出典:屋台物語 南の巻 p.95(書き起こし・書き起こし(未校正))

龍・虎 (左右脇障子)

中国の昔の書物に「龍は雲を呼び、虎は風を起こす」「雲は龍に従い、風は虎に従う」などという言葉があるそうですが、「龍」と「虎」の組合せについては、特に物語がある訳ではありません。

ただ、龍も虎も、ともに特別すぐれた強い力をもったものとしてこの二つを対にして画にしたものではないかと思われます。

そこで、特別に強いものどうしの対決を表す「龍虎の争い」などという言葉もできてきたというわけです。

虎はよく恐ろしいものの代表とされます。しかし、「悪い政治は、虎よりも恐い」という言葉もあるそうです。

出典:屋台物語 南の巻 p.96(書き起こし・書き起こし(未校正))

獏(ばく) (木鼻)

動物園にいる「ばく」ではなく、昔、中国で考えだされた、人間の悪い夢を食べてくれるという想像上の動物のことです。形は、頭が小さく、熊に似ているほか、鼻は象、目は犀(さい)、尾は牛、脚は虎に似ていて、身体には、白と黒の毛がまだらに生えていると言われています。また、その毛皮を敷いて寝ると、邪気(人に害を与えるもの、縁起の悪いすべてのもの)を避けることができるともいわれています。

昔、日本の朝廷では、正月にお年玉として家来の役人に「宝船」の画を与えたそうで、その宝船の帆には「獏」という字が書いてあったということです。

出典:屋台物語 南の巻 p.96(書き起こし・書き起こし(未校正))

十二支・松に鷹・松に鶴ほか (支輪・照障子・木鼻・蒔絵)

(P136参照)

出典:屋台物語 南の巻 p.97-98(書き起こし・書き起こし(未校正))

腰長押