屋台に刻まれた物語English

屋台をめぐる / 南(飯田(賀茂神社))

賀明社 鴨谷

賀明社(鴨谷)の屋台
本のスキャン(仮) 屋台物語 南の巻 扉 p.99(1994年刊)

基本情報

読みかめいしゃ(かもや)
落成年平成元年10月8日
社名の由来賀茂神社が「賀茂大明神」と言われていたころがあった。そこで賀茂の「賀」と、大明神の「明」とを組合せて社名とした。
工匠一木和賢(森町睦実)・南澤賢次(浅羽町)
彫刻早瀬宏(浜松市)
塗装村松菊郎(森町南町)
車輪小栗新太郎(磐田市)
御廉の社名揮毫不明
備考建具:大杉建具店、守屋建具店(掛川市本郷)。製材は丸久林業製材部(森町森)。雨天時には、中脇柱を、上にのばし、すぐにシートをかぶせられるようになっている。新築時には支輪のみであった彫刻も、平成2年に、前欄間・左右御簾脇・木鼻に彫刻を追加。平成5年に、袖障子・桁角木鼻(力神)の彫刻を追加し、塗装も行なった。昭和25年ごろ、一木和平氏・一木健一氏が作成した「竜」「鶴」「鶯」等の彫刻がついた初代屋台により初めての屋台の引き回しが行なわれた。現屋台は三代め。二代目は、鴨谷に住んでいた一木健一氏の手作り屋台で、平成元年に梶ケ谷(梶盛社)へ譲渡、活躍中。(参照頁の数字は判読不能)

出典:屋台物語 南の巻 p.100

彫刻

鳳凰(ほうおう) (正面欄間)

昔、中国で「麒麟(きりん)」・「亀」・「龍」とともに「四瑞」とか「四霊」と言われて尊ばれた想像上の「瑞鳥(おめでたい鳥)」のことです。

そのスタイルは、前は麟、後は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似ていると言われ、きれいな五つの色に輝き、声は言うに言われぬいい声を出し、青桐の木に宿り、竹の実を食べ、きれいな泉の水を飲み、雄を「鳳」、雌を「凰」とも言われています。すぐれた知徳をそなえた天子が現われる兆として、この世に現われると伝えられるため、めでたい、縁起のいい鳥とされているのです。

出典:屋台物語 南の巻 p.101(書き起こし・書き起こし(未校正))

七福神⑤恵美須・⑥大黒天 (右御簾脇・左御簾脇)

七福神……⑤「恵美須(エビス)」(右御簾脇)

エビスは大黒と並んで福の神の代表とされています。エビスは、恵比寿・戎・夷などとも書かれ、これは異邦人(よその国の人)を意味している言葉であります。そこから、エビスとは、よその土地からやってきて幸をもたらす客神をさすものといえるでしょう。

また、イザナギ・イザナミの三番めの子供で、三歳になっても脚がたたず、葦舟にのせて海に流され、その後、摂津国西宮の海岸に流れつき祭神となった「蛭子命(ヒルコノミコト)」が、エビスであるとも言われます。

また、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供で大の釣好きな「事代主命(コトシロヌシノミコト)」がそうであるとも言われています。

エビスは、豊漁をもたらす神、航海の守護神とされる他、市場の神、商業の神ともなり福の神の一人として祀られてきました。一月・十月の二十日は恵美須講の日として、農業、山の神としての信仰も集めています。

七福神……⑥「大黒天(ダイコクテン)」(左御簾脇)

ダイコクテンは、大黒天神という仏教の守護神でその前はヒンズー教の神様であったそうです。

昔、中国南方の寺では、厨(台所)にダイコクテンを祀っていました。伝教大師がそれを日本に持ち帰り、比叡山延暦寺に祀ったのが広まったとも言われています。

さらに、「大黒」と「大国」の字音が同じであるため、いつのまにか木槌を持って米俵にのった日本神話に出てくる大国主命(オオクニヌシノミコト)と合わさって、もとはすっかり違った、肩に大きな袋を背負い右手に打出の小槌を持った、日本的なダイコクテンが作り上げられたものといえるでしょう。

出典:屋台物語 南の巻 p.101-102(書き起こし・書き起こし(未校正))

手長・足長 (左右脇障子)

「手長・足長」は、「山海経」という中国の昔の本の中に「長臂国」「長股国」の人として出てきます。どちらも異常なスタイルをした想像上の人物、または神仙(仙人)と思われます。この画が日本へ伝わり、内裏の清涼殿(天皇のいる部屋)の障子に鳥獣や仙人とともに「手長・足長」という名前で描かれたのが始まりで、その後に、神輿(みこし)の水引(幕)にも描かれるようになったという事です。

出典:屋台物語 南の巻 p.102(書き起こし・書き起こし(未校正))

支輪

木鼻