屋台に刻まれた物語English

屋台をめぐる / 南(飯田(賀茂神社))

梶盛社 梶ケ谷

梶盛社(梶ケ谷)の屋台
本のスキャン(仮) 屋台物語 南の巻 扉 p.105(1994年刊)

基本情報

読みとうせいしゃ(かじがや)
落成年購入した年 平成元年(落成年 昭和46年10月)
社名の由来梶ケ谷町内会が、ますます盛えるように祈念して命名。
工匠一木健一(森町梶ケ谷)
彫刻一木健一(森町梶ケ谷)
塗装記載なし
車輪鉄製-村上鉄工(鴨谷地区の青年たちが塗装。)
御廉の社名揮毫不明
備考建具:一木健一(森町梶ケ谷)。当時鴨谷に住んでいた一木健一氏が本体彫刻すべて手作りで、鴨谷「賀明社」屋台として製作。平成元年、賀明社に新屋台が落成したことから、一木健一氏が転居した新興団地梶ケ谷に譲渡された。その平成元年が、当地区での屋台引き回しの始まり。「手づくりの祭りを」と、住民総出で盛り上げるなど、この屋台が、新しい住宅団地「梶ケ谷」の住民の団結・親睦のうえに大変に大きな役割を果たしている。(一部の文字は判読不能)

出典:屋台物語 南の巻 p.106

この屋台の写真(2枚)

彫刻

鯉の滝昇り (左右脇障子)

中国を流れる黄河の上流に「龍門」という場所がありました。そこは急流の中でも特に流れが激しく、滝のようになっていました。いろいろな魚が、何とかしてそこを上流に上ろうとするけれど、強い水の勢いに負けてどれも上ることはできません。

魚の中で一番元気がよいという「鯉」でさえもほとんど上ることができません。それでも、もし上りきれる鯉があったなら、その鯉はたちまち「龍」になって天に昇ることができるといわれています。

これは、人々が、困難に打ち勝って立身出世できるということを表したものであるし、また、この言い伝えからできたのが、「登龍門」という言葉です。この言葉は自分の立身出世の願いをかなえるために、どうしてもさけられないたいへんな「難関(困難)」を意味するものです。

この画は、人々の立身出世を祈るとともに、町内の子供たちが「鯉」のように元気に育ってほしいという願いがこめられているものと思われます。

なお、この「鯉の滝昇り」の図柄は、森町の「武家だこ」にもよく描かれているおめでたい図柄です。

出典:屋台物語 南の巻 p.107(書き起こし・書き起こし(未校正))

張果老仙人(ちょうかろうせんにん) (正面欄間)

「張果老」は唐の時代の仙人の一人で、常に白い馬にまたがり、一日に数万里を動きまわる事が出来たといいます。休息するときは、白馬を小さくちぢめて瓢箪の中へ納め、腰にぶらさげておき、必要になったときは瓢箪を逆さにします。すると、瓢箪から出てきた水が馬に変わり、それにまたがって出掛けたということです。

休む時には、駒を紙のように折畳み、絹張りの小さな箱に入れ、乗るときはこれに水を吹き掛けると、またもとの駒になって乗ることが出来た、と書いた本もあります。

いろいろと工夫と努力を重ねれば、思わぬところで思わぬいい結果が生まれる、という意味の「瓢箪から駒が出る」という諺はここから出た、という説もあります。

出典:屋台物語 南の巻 p.107(書き起こし・書き起こし(未校正))

御簾脇

欄間

腰長押