浦島太郎 (右欄間)
昔、浦島太郎という人がありました。ある日、浜を通ると、子供が大ぜいで亀をつかまえて、おもちゃにしています。かわいそうに思った浦島は、子供からその亀を買って海へ放してやりました。
それから二三日たった後、浦島が舟に乗ってつりをしていると、大きな亀が出てきて、「この間はありがとうございました。お礼に竜宮へつれていって上げましょう。背中へお乗りください。」と言いました。
浦島がよろこんで亀に乗ると、亀はどんどんと海の中へ入って行き、間もなく竜宮へつきました。
竜宮では、乙姫さまが浦島の来たのをよろこんで、毎日いろいろなごちそうをしたり、いろいろなおどりをして見せてくれたりしました。
浦島は面白がって、家へ帰るのも忘れていましたが、そのうちに家に帰りたくなってきました。
「いろいろとお世話になりました。あまり長くなりますので、そろそろ帰ることにしたいと思います。」と言うと、乙姫は「それはまことに残念でございます。それでは、この玉手箱をおみやげにさし上げます、どんなことがあってもふたを開けてはいけませんよ。」と言ってきれいな箱を渡してくれました。浦島はまた、亀に乗って海の上へ出てきました。
村へ帰ってみておどろきました。
父も母も死んでしまって、家も無くなっていて、様子がすっかり変わっています。知っているものは一人もいません。悲しくてたまらなくなった浦島は我を忘れて、約束を破って、玉手箱を開けました。開けると、中から白い煙がぱっと出て、浦島はたちまちしらがのおじいさんになってしまいました。
出典:屋台物語 南の巻 p.39(書き起こし・書き起こし(未校正))
桐に鳳凰/獅子 (左右脇障子・木鼻)
(P101参照)
出典:屋台物語 南の巻 p.40(書き起こし・書き起こし(未校正))
熊襲建を退治する倭建命 (後欄間)
(詳しくはP45参照)
本のスキャン(仮)p.40熊襲建を退治する倭建命(1) 調査中
欄間 後 解説 p.(P.45)
「詳しくはP45参照」。写真2枚(上下)で、どちらが後欄間か・もう1枚が何かは要確認
本のスキャン(仮)p.40熊襲建を退治する倭建命(2) 調査中
欄間 後 解説 p.(P.45)
同上
出典:屋台物語 南の巻 p.40(書き起こし・書き起こし(未校正))
七福神①布袋 (御簾脇、左右)
幸福を招くという七体の神様のことで、だれとだれを七体組合せるかは時代によって異なっています。
七人を組合わせたわけは、「竹林の七賢人」に倣ったとか、お経の「七難即滅、七福即生」という言葉に基づいたものだと言われています。
七福神の信仰は、商業の盛んになった室町時代の終わり頃から始まり、江戸時代に入ると「七福神詣り」といって、元日から七日迄に一年の幸運を祈るため七福神を祀った寺社を巡拝することが流行したということです。
七福神−①「布袋」(ほてい)(左の下)
七福神の中でただ一人の、中国に実在した人物を神に見立てた福の神であります。唐時代の禅僧で「契此(かいし)」というのが名前ですが、その楽天的な性格や、子供達を可愛がり、常に、にこにこしていることから、一般の人々からは「布袋和尚(ホテイオショウ)」と呼ばれて親しまれていたということです。
常に、杖をもって布袋を荷ない、半裸で大きなお腹を出して福々しい顔をした姿を見た人々は弥勒(みろくぼさつ)の化身であると言って尊んだということです。(他の七福神はP47・95・101・102・119を参照)
本のスキャン(仮)p.41七福神 左の写真 調査中
御簾脇 左右のうち 解説 p.41(P.47・95・101・102・119)
見出し「七福神(御簾脇左右)」。「七福神①布袋(左の下)」。写真は頁右の左
本のスキャン(仮)p.41七福神 右の写真 調査中
御簾脇 左右のうち 解説 p.41
出典:屋台物語 南の巻 p.41(書き起こし・書き起こし(未校正))
鬼を退治する桃太郎 (左欄間)
(P88参照)
出典:屋台物語 南の巻 p.41(書き起こし・書き起こし(未校正))
須佐之男命八俣大蛇退治 (前欄間)
(P26参照)
出典:屋台物語 南の巻 p.42(書き起こし・書き起こし(未校正))
波に千鳥 (腰長押)
(キャプションのみ)
出典:屋台物語 南の巻 p.42(書き起こし・書き起こし(未校正))