児島高徳(こじまたかのり) (御簾脇、右)
鎌倉時代、幕府の将軍が力を持って全国を支配していました。時の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は幕府を倒して天皇の手に権力を取り戻そうと考え、計画をたてていました。しかし、これが幕府に知られ、城は攻め落とされ、捕らえられた天皇は隠岐島(おきのしま)へ流されることになりました。(=1331年・元弘の乱)
備前の国(今の岡山県)出身の武士「児島高徳」は、隠岐へ流される後醍醐天皇が五百人の幕府の兵に警護され京都を出発したと聞き、途中で何とか天皇を助けだそうと考えました。
まず、播磨の国(今の兵庫県)と備前の国の境、舟坂山の峠で待ち伏せをしていました。ところが、いくら待っても天皇を連れた一行は現われません。一行は山陽道を通らずに山陰道に変更したためです。それを知った高徳は、それでは美作の国(今の岡山県北部)の杉坂で、と急ぎましたが、今度は、もう一行は通りすぎてしまった後でした。 このうえは、自分の気持ちだけでも天皇に伝えたいものだと考えた高徳は、そまつな身なりをし、ただ一人、天皇が泊まっている場所に忍びこみました。 そこの庭にあった桜の大木の幹を削ると、次のような一句を書き記しました。「天莫空勾践時非無范蠡」読み方=天(てん)、勾践(こうせん)を空(むなしうすること)莫(なかれ)、時に范蠡(はんれい)無きにしもあらず。……昔、中国の越の国の王「勾践」と、呉の国の王「夫差」が戦い、勾践は会稽山というところで夫差にかこまれて敗れました。しかし、范蠡という立派な家来の助けによってやがて夫差を討ちやぶり、恥を そそぐことができたという話をうたった詩です。
「天よ、勾践のような悲運にあっている天皇を見捨てないで下さい。いまにきっと范蠡のような立派な家来が出てきてあなたを助け出すでしょうから。」と、後醍醐天皇を勇気づける内容です。
次の朝、これを見た人々はこの詩の意味がわかりませんでしたが、話を聞いた天皇は意味を理解し、満足そうにほほえんだということです。
出典:屋台物語 南の巻 p.31(書き起こし・書き起こし(未校正))
楠木正成、桜井の別れ (御簾脇、左)
150年間続いた鎌倉幕府が倒され、天皇の政治に変わりました。しかし、天皇の味方をして戦った武士たちの期待を裏切った政治をしたため、足利尊氏を中心にした武士が天皇方に反抗し、戦になりました。
1336年(建武3年)、いったん九州に退いた尊氏は、大勢の兵を集め、都へむかって攻めてきます。これをくいとめるために新田義貞の軍が兵庫に陣をしいていますが軍は疲れ切っています。後醍醐天皇は楠木正成を呼び「すぐに兵庫へ行き、義貞に協力をするように。」といいました。これに対して正成は、「今度の敵は、新手ばかりの大軍です。味方は、疲れ切った小勢です。まともに戦っては、必ず負けてしまいます。どうぞ、新田殿の軍をすぐ京都に呼び戻し、いっしょに比叡山に上ってください。私は近畿一帯から軍を集め敵を淀川の下流で防ぎます。そうすれば、都へ入った尊氏の兵は、食糧を運ぶ道を両方から止められ、だんだんと軍勢は疲れ、兵も減ってしまうでしょう。そこで、新田殿は山からおしよせ、私が敵の後から攻め上りましょう。そうすれば、必ず尊氏勢を破ることができます。戦は、途中のことより、最後に勝つことがかんじんです。」と申し上げました。
作戦の名人、正成の考えにほとんどの人が賛成でしたが、宰相の平清忠だけが反対しました。「天皇に反抗する軍を討ちに行った将軍が、戦もせずに逃げ帰るようでは、天皇の値打ちにもかかわる。正成をすぐ兵庫にむかわせ一緒に戦わせるべきだ。」この一言で、天皇は正成を兵庫へ向かわせることにしました。
正成は、勝つ見込みのない戦ではあっても、天皇の命令であるのでそれに従って立派に戦うしかないと、死を覚悟し、弟の正季をはじめ五百の味方を率いて出発します。その途中、桜井という所まで、自分の子供の正行に、天皇からいただいた菊水の刀を形見として与え「生き残って天皇のために、尽くしなさい」と最後の別れをし、むりやり帰らせ、湊川の合戦へとむかいます。
出典:屋台物語 南の巻 p.32-33(書き起こし・書き起こし(未校正))
予祝(神事)・田植え・収穫(宴) (左右・後欄間)
飯田地区に広がった田の豊作を祈って、予祝行事(神事)・田植え・収穫の喜び(宴)の図を左・右・後欄間に配した。
出典:屋台物語 南の巻 p.33(書き起こし・書き起こし(未校正))
須佐之男のミコト/獅子に牡丹 (支輪)
八俣の大蛇を退治する須佐之男のミコト 詳しい話はP26参照(須佐之男のミコトは、山名神社の祭神)
出典:屋台物語 南の巻 p.33(書き起こし・書き起こし(未校正))
山名神社天王祭舞楽 (支輪)
この舞楽は、明応5年(1496年)に摂津の国天王寺から伝承されたものであるが、文禄4年から寛文6年まで約70年間中絶していたものを慶長11年に天王寺から再び伝習して復活したものである。(元禄14年の「舞楽指南書」より)
出典:屋台物語 南の巻 p.34(書き起こし・書き起こし(未校正))
四神(しじん) (支輪)
「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」は、天上の東、西、南、北、四方を守るという神のことで、「四神」といわれています。
・朱雀(しゅじゃく・すじゃく)南方の守り神として鳳凰の姿をしているといわれています。道教では、心臓を守る神とされています。
・青龍(せいりょう)青い龍の姿をしていて、東の方角を守るといいます。道教では、肝臓に宿る神とされています。
・白虎(びゃっこ)白い虎の姿をしていて、西の方角を守るといいます。また、血の神として、女の人の産事を司るともいわれます。また、道教では、肺を守る神とされています。
・玄武(げんぶ)北の守り神で、亀に蛇が巻きついて一体となった姿。また、水を司る神とも言われています。道教では、胆嚢に宿る神とされています。
※「四神」を描いた四本の旗は「四神旗」といわれ、昔、朝廷で元日朝賀や即位の礼などおめでたい行事の時にその庭へ立てるのが習わしであったとのことです。今でも、神社のお祭りの時に立てられたり、神輿のお渡りの行列の時の持ち物に加えられたりもしています。
出典:屋台物語 南の巻 p.35(書き起こし・書き起こし(未校正))
水鳥/岩戸を開ける手力男命と踊る天宇受女命/獅子に牡丹/阿吽の獅子 (腰長押・脇障子・木鼻)
(キャプションのみ)
出典:屋台物語 南の巻 p.36(書き起こし・書き起こし(未校正))