手長・足長 (御簾脇、左右)
「手長・足長」は、「山海経」という中国の昔の本の中に出てきます。どちらも異常なスタイルをした想像上の人物、または神仙(仙人)と思われます。
この画が日本へ伝わり、内裏の清涼殿(天皇のいる部屋)の障子に鳥獣や仙人とともに「手長・足長」という名前で描かれたのが始まりで、その後に、神輿(みこし)の水引(幕)にも描かれるようになったという事です。
こういう事から、手長・足長が組になれば、どんなことでもできるという不老長寿の仙人として、天皇の長寿、朝廷が永久につづいてほしいという願いなどから宮殿に描かれ、次第にそれが広まったのではないかと考えられます。
二人のスタイルは「山海経」の中の画や文をもとに描かれたものです。
本のスキャン(仮)p.9手長・足長(左) 調査中
御廉脇 左 解説 p.9
山海経に出てくる想像上の人物または神仙と解説
本のスキャン(仮)p.9手長・足長の二人組(右) 調査中
御廉脇 右 解説 p.9
基本情報の備考:旧屋台の彫刻の画題を受け継ぐ
出典:森の祭り(森の巻) p.9(書き起こし・書き起こし(未校正))
水波に鯉 (腰長押)
あたかも、太田川の清流で子供達が遊ぶ様子をあらわしているように見えます。
本のスキャン(仮)p.7水波に鯉 調査中
腰長押 解説 p.9
p.7は全景頁の下部にも同じ題材の写真。p.9の解説「あたかも、太田川の清流で子供達が遊ぶ様子をあらわしているように見えます。」
出典:森の祭り(森の巻) p.9(書き起こし・書き起こし(未校正))
神武東征、八咫烏(やたのからす) (右欄間)
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)が、九州の日向(ひゅうが)の、高千穂(たかちほ)の宮にいて天下を治めていました。しかし、日向は政治をするのには不便でした。そこでミコトは四人兄弟の一番上の兄、五瀬命(イツセノミコト)と相談をし、もっと東の方へ移ろうと、軍勢をひきつれて出発しました。
河内の国の浜に着いたとき、そこに待ち構えていた長髄彦(ナガスネヒコ)という者が兵をひきつれて、急にどっと矢を射ってきたので、イツセノミコトがその矢のために大きな傷を受けてしまいました。「俺たちは日の神の子孫でありながら、太陽に向う方向で攻めたのが間違いであった。遠まわりして、太陽を背にして戦おう。」再び船を戻しましたがその途中でイツセノミコトは傷のため、ついに亡くなってしまいました。
次に、紀伊の国の熊野に着いたときにも大きな危機に遇いましたが高天原から降ろされてきた太刀のおかげで危うく難を逃れることが出来ました。
さらに進もうとすると、大空からタカミムスビノカミの声が聞こえてきました。「そこから奥へは決して進んではなりません。その先には、荒くれた悪い神たちがたくさんいます。私が今、八咫烏(ヤタカラス)を遣わすからその後について進みなさい。」
言われたとおり、すぐに烏が降りてきたのでその後について進んでいきました。その後にもいくつもの苦労を乗り越え、いよいよ兄の敵ナガスネヒコとの戦いが始まりました。
しかし、今度の戦いも苦戦に陥りました。その時です、急に空が真っ暗になり、雨が降ってきたかと思う間もなく、どこからか金色の鳶(とび)が飛んできてミコトの弓の上にとまりました。あまりのまぶしさにナガスネヒコの軍勢は目がくらみ、戦うことが出来なくなってしまいました。
やがてナガスネヒコを倒したカムヤマトイワレヒコノミコトは天皇の位につき神武天皇となりました。
本のスキャン(仮)p.10神武東征・八咫烏(八咫烏の先導で進む、神倭伊波礼毘古命の軍) 調査中
欄間 右 解説 p.10
本のスキャン(仮)p.10鳳凰の天幕(大正12年製) 調査中
天幕 解説 p.10
彫刻ではなく刺しゅう。基本情報の備考:大正12年、東京白木屋製作
出典:森の祭り(森の巻) p.10(書き起こし・書き起こし(未校正))
天孫降臨 (左欄間)
乱れていた下界を、建御雷神(タケミカヅチノカミ)たちが平らげて帰ってきたので、天照大神(アマテラスオオミカミ)は「今度は、お前が降りていってあの国を治めよ」と天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)に命じました。しかし、彼は自分の子供、日子番能邇邇芸命(ヒコホノニニギノミコト)の方が適任だと申し出したためオオミカミはその通りにしました。
準備を整え、いよいよ出発しようとした時、大空から下界へ降りる通り道に誰か一人の神様が、まぶしい光をきらきらと放ちながら立ちはだかっているのが見えました。それをご覧になったアマテラスオオミカミと高皇産霊神(タカミムスビノカミ)は、心配して急いで天宇受女命(アメノウズメノミコト)を呼び、「そなたは女ではあるが、逆らってくる神と、にらみ合って追い払うことができる力をもっている。お前一人で行って、何者か、しっかりと責めただしてこい。」と命令しました。
言われたとおり出かけていったウズメノミコトが責め立てると、「私は、下界の神で猿田彦神(サルタヒコノカミ)と言う者です。わざわざここまで来たのは、大空の神が下界に降りてくると聞いたので、先に立って道案内を申し上げるためです」とかしこまって申し上げました。
オオミカミは安心し、ニニギノミコトを出発させるにあたって、八尺曲玉(ヤサカノマガタマ)、八咫(ヤタ)の鏡、八俣大蛇から出てきた剣を与えて言いました。「特にこの鏡は私の魂として大切に祀りなさい」
ニニギノミコトは、大勢の神々を従えて出発です。行列の先頭には、二人の勇ましい神が大きな剣を下げ、大きな弓と強い矢を抱えて先払いをします。この行列の道案内は赤い顔、高い鼻のサルタヒコノカミです。たくさんの重なった雲をおしわけおしわけ進んでいきます。
(お神輿の渡御行列はこのときのようすを表していると言います。)
本のスキャン(仮)p.11猿田彦神を責めただす天宇受女命(天孫降臨) 調査中
欄間 左 解説 p.11
写真の題と解説の題(天孫降臨)が併記されている
出典:森の祭り(森の巻) p.11-12(書き起こし・書き起こし(未校正))
八俣の大蛇を退治し、櫛名田姫を助ける須佐之男命(スサノオノミコト) (前欄間)
乱暴ばかりしていた須佐之男命は、天上の神の国から地上へ追い払われます。そこで、櫛名田姫を助けるため八俣の大蛇を退治し、切り裂いた体から見事な剣を見つけました。
(くわしくはP115)
出典:森の祭り(森の巻) p.12(書き起こし・書き起こし(未校正))
獏(ばく) (木鼻)
動物園にいる「ばく」ではなく、昔、中国で考えだされた、人間の悪い夢を食べてくれるという想像上の動物のことです。
形は、頭が小さく、熊に似ているほか、鼻は象、目は犀(さい)、尾は牛、脚は虎に似ていて、体には、白と黒の毛がまだらに生えていると言われています。
また、その毛皮を敷いて寝ると、邪気(害を与えるもの、縁起の悪いものすべて)を避けることができるとも言われています。
昔、日本の朝廷では、正月に家来の役人に「宝船」の画をお年玉として与えたそうで、その宝船の帆には「獏」という字が書いてあったということです
出典:森の祭り(森の巻) p.12(書き起こし・書き起こし(未校正))
天の岩戸(おどる天宇受女命) (右欄間)
須佐之男命の乱暴に怒った天照大神は、「天の岩戸」の中へ隠れてしまい、おかげで、世の中は真っ暗やみ。困った神様たちは、何とか岩戸から出そうと考え、天宇受女命が踊りを始めました。(くわしくはP35)
出典:森の祭り(森の巻) p.13(書き起こし・書き起こし(未校正))
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と草薙剣(くさなぎのつるぎ) (左欄間)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、天皇の命令で九州を平定し、大和へ凱旋しました。すると、天皇はすぐ引き続いて東の方の従わない者どもを従えてまいれと命じました。
ミコトはすぐに出発、途中で伊勢神宮にお参りをし、お別れを言うためにおばの倭姫(ヤマトヒメ)に会いました。すると、ヤマトヒメは「万一の時には、この袋の口を開けてみなさい。」と言って一つの袋と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ=八俣の大蛇からとりだされたもの)を渡してくれました。
ミコトは、東へ東へと相模の国に着きました。すると、そこの国造(くにのみやつこ=役人)が「あそこの野原の中に大きな沼があります、そこに住んでいる神は大変乱暴で、みんな困っています」と申し出しました。
ミコトが、それを退治しようと、言われたとおり野原へ入って行くと、不意に野原に火がつけられ四方から炎がせまって来ました。「しまった、だまされた。」と気が付いたときには火はすぐ側まで来てしまいました。
その時です、ふと、袋のことを思い出しました。急いで口を開けると、中から火打ち石が出てきました。そこでミコトは剣を抜き、まわりの草をどんどん薙ぎ倒し、火打ち石で火を付けるとあべこべに向こうへむかって焼きたてました。
やっと野原から逃れたミコトは国造とその家来たちをことごとく切り殺し、火を付けて焼いてしまいました。
それから、この土地を「焼津(やいづ)」と呼び、草を薙ぎ払った剣を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ぶようになりました。
出典:森の祭り(森の巻) p.13(書き起こし・書き起こし(未校正))