屋台に刻まれた物語English

屋台をめぐる / 北(三倉)

昭運社 黒田

昭運社(黒田)の屋台
本のスキャン(仮) 屋台物語 北の巻 扉 p.59(1993年刊)

基本情報

読みしょううんしゃ(くろだ)
落成年昭和57年10月
社名の由来昭和の時代、黒田町内会がますます開運発展するようにと田辺三郎平が命名した。
工匠安間宇太郎(森町大鳥居)
彫刻伊藤章晴(三ケ日町)
塗装村松菊郎(森町南町)
車輪村松利雄(森町仲町)
御廉の社名揮毫中野強司(森町三倉黒田)
備考建具製作は、守屋秀三(掛川市本郷)。昭和2年昭和天皇御大典記念の時から引き始める。その時の屋台は春野町若身より購入したものであった。現屋台の製作にともない、昭和56年、掛川市小和田へ売却。現屋台は2代目。

出典:屋台物語 北の巻 p.60

彫刻

神功皇后(じんぐうこうごう)と武内宿禰(たけのうちのすくね) (後欄間)

亡くなった仲哀天皇に代わり、后の神功皇后が住吉三神のお告げをうけて実行した新羅(朝鮮)親征は、思い通りに成功しました。

この、新羅での政治の仕事がまだ終らないうちに、身ごもっていた神功皇后は子供が生まれそうになりました。大事な仕事が終わらないうちに子を生むわけにはいかないと、后は下着の腰のあたりに小石をつるし、お腹を鎮めるお祈りをして出産を抑え、筑紫の国(今の九州)に帰ってきてから安心して御子を出産しました。この皇子が、後の応神天皇です。

皇后一行は第一の臣、武内宿祢を先頭にして、長い間留守にしていたなつかしい都に向います。しかし、長く留守にしていた間に人々の気持ちはどう変わっているか安心はできません。みんなは、神功皇后や生まれたばかりの皇子を喜んで迎えてくれるとは限りません。

そこで皇后は作戦を考えました。「皇子は亡くなられた。ご遺体が都に帰ってくる。」と言いふらさせて、棺を乗せる喪船を用意し、皇子をその船に乗せ都へ入ろうとしました。

すると、案の定、皇子の異母兄である香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)は、「しめた、御子が亡くなったからには、皇后さえ殺してしまえば天下を指図できるのは自分たちだけだ。」「よし、皇后が都へ入る前に何とかやっつけてしまおう。」と、相談し軍勢を集め斗賀野というところで皇后を待ち伏せしました。待ち伏せている間に突然出てきた大猪に香坂王が噛み殺されてしまいましたが、忍熊王は兄の弔い合戦だと、軍勢を整え皇后の一行にたち向ってきました。

「あの喪船を占領しろ。」軍備の無い喪船をまず攻撃しはじめました。ところが、空の船だと思っていたその船から、たちまち武装した兵が現われ激しい戦いになりました。しばらくして忍熊王は少し押され山城まで逃げました。そこで態勢を建直し、また激しい戦いになり、今度はいつまでたっても勝負がつきません。そこで、皇后の方は計略を使うことにしました。

「皇后さまが亡くなった、もう戦う必要はない。武装を解いてあなたがたに降参します。」と敵に伝え、弓の弦を断ち切って降参の気持ちを表しました。

敵はまんまとこの言葉にだまされ、全員弓の弦をはずし、武器を収めてしまいました。

これを見た皇后の軍は、髪の毛の中に隠しておいた弓の弦をすばやく弓につけると一気に攻めていきました。不意をうたれた忍熊王の軍は勢いを取り戻さないままに、ついに琵琶湖に入水し全滅してしまいました。

出典:屋台物語 北の巻 p.62-63(書き起こし・書き起こし(未校正))

七福神 恵比寿・大黒/獅子 (左右脇障子・木鼻)

(P.34・77・97参照)

出典:屋台物語 北の巻 p.63(書き起こし・書き起こし(未校正))

須佐之男の尊 八俣大蛇退治/天の岩戸 (右欄間・左欄間)

八俣大蛇退治(くわしくはP.41)、天の岩戸(くわしくはP.36)

出典:屋台物語 北の巻 p.63(書き起こし・書き起こし(未校正))

十二支と四神 (支輪)

(十二支についてはP.100参照)、四神(P.42参照)

出典:屋台物語 北の巻 p.64-65(書き起こし・書き起こし(未校正))

雉と山鳥 (腰長押)

(キャプションのみ)

出典:屋台物語 北の巻 p.65(書き起こし・書き起こし(未校正))

国生み (御簾脇、左右)

はるかに遠い大昔、世の中の始まりの時、天と地が混じりあって見分けがつかなかった頃のことです。天上の世界「高天原(たかまがはら)」というところにアメノミナカヌシノカミという神がお生れになりました。続いてタカミムスビノカミ・カミムスビノカミがお生れになりましたが、これらの神はその姿を隠して、けっして見せることはありませんでした。

それからしばらくたって、ようやく天と地が分かれてきました。けれどもこの地上は、まだ、まるで水上に油を浮かべたようにとろとろとやわらかく、海のくらげが漂っているような有様でした。そこから、葦の葉が芽をふき出すように二人の神様がお生れになりましたが、これらの神もその姿を隠して、けっして見せることはありませんでした。続いてまた二人、さらに二人ずつ八人の神々が生まれましたが、すべて姿を隠していて見せることはありませんでした。

最後に現われたのが「イザナギノカミ」「イザナミノカミ」という男と女の神様です。

高天原にいたアメノミナカヌシノカミはこの二人の神をそばに呼んで「あのふわふわしている土を固めて、日本の国を作りなさい。」と、いいながら天の沼矛(あめのぬぼこ)という玉飾りのついたりっぱな矛を渡しました。

二人の神は、すぐに天と地の間にかけられた天の浮橋(あめのうきはし)を渡っていき、手にした矛で、橋の下のとろとろしているところをぐるぐるとかき回し、さっと引き上げました。すると、その矛の先から海水のようなものがぽたぽたと下に落ちていき、それがつもり固まって、見る見るうちに一つの島になりました。

二人は天の浮橋からその島へ降りていきました。そこへ柱を立てて立派な御殿をつくり、そこで結婚し、つぎつぎに新しい島々を生み出しました。真っ先に生まれたのが淡路島、次は四国、つづいて隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡の島を生みました。最後に生んだのが、一番大きな本州です。この島にはオオヤマトアキツシマという名を付けました。このように日本は八つの島から成りたっているので古くから「オオヤシマノクニ」と言われていました。

出典:屋台物語 北の巻 p.61(書き起こし・書き起こし(未校正))

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