七福神 (後欄間)
幸福を招くという七体の神様のことで、七体の組合せは時代によって異なっています。七人を組合わせたわけは、「竹林の七賢人」にならったとか、お経の「七難即滅、七福即生」という言葉に基づいたものだとか言われています。
七福神の信仰は、商業の盛んになった室町時代の終わり頃から始まり、江戸時代に入ると「七福神詣り」といって、元日から七日迄に一年の福運を祈るため七福神を祀った寺社を巡拝することが流行したということです。
七福神−①「恵美須(エビス)」
エビスは大黒と並んで福の神の代表とされています。
エビスは、恵比寿・戎・夷などとも書かれ、これは異邦人(よその国の人)を意味している言葉です。そこから、エビスとは、よその土地からやってきて幸をもたらす客神をさすものといえるでしょう。
また、イザナギ・イザナミの三番めの子供で、三歳になっても脚がたたず葦舟にのせ海に流され、その後、摂津国西宮の海岸に流れ着き西宮の祭神となった「蛭子命(ヒルコノミコト)」が、エビスであるとも言われ、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供で、大の釣好きの「事代主命(コトシロヌシノミコト)」がそうであるとも言われています。エビスは、豊漁をもたらす神、航海の守護神とされる他、市場の神、商業の神ともなり福の神の一人として祀られてきました。一月・十月の二十日は恵比寿講の日とし農業、山の神としての信仰も集めています。
七福神−②「大黒天(ダイコクテン)」
ダイコクテンは、大黒大神という仏教の守護神でその前はヒンズー教の神様であったそうです。
昔、中国南方の寺では、厨(台所)にダイコクテンを祀っていました。伝教大師がそれを日本に持ち帰り、比叡山延暦寺に祀ったのが広まったとも言われています。
さらに、「大黒」と「大国」の字音が同じであるため、いつのまにか日本神話に出てくる大国主命(オオクニヌシノミコト)と合わさって、もとはすっかり違った、肩に大きな袋を背負い右手に打出の小槌を持って米俵にのった、日本的なダイコクテンが作り上げられたものといえるでしょう。
(③寿老人・④福禄寿はP59、⑤毘沙門天・⑥弁財天はP91、⑦布袋はP108に)
本のスキャン(仮)p.50
七福神 調査中解説:恵美須、大黒天ほか。③寿老人・④福禄寿はP59、⑤毘沙門天・⑥弁財天はP91、⑦布袋はP108に
出典:森の祭り(森の巻) p.50-51(書き起こし・書き起こし(未校正))