屋台に刻まれた物語English

屋台をめぐる / 森の祭り(旧森町)

水哉社 本町

水哉社(本町)の屋台
森の祭りアーカイヴ「森町の屋台 本町 水哉社」(投稿日 2025-09-10)
この写真の説明

社名の由来は「泉湧くところ水は哉(もと)なり」の言葉からとったという説があります。昭和50年、新屋台建設気運の先駆けとなり製作された雄渾(ゆうこん)、典雅(てんが)な屋台です。・金具は村井幸雄(愛知県刈谷市)・御廉脇彫刻は旧屋台の彫刻画題を受け継ぎ「須佐之男之命八俣大蛇退治」に・後支輪の彫刻は、57番目の干支の庚申(かのえさる)の年に落成したことから「三猿の図」工匠:太田昭夫(本町)彫刻:志村孝士(二代目流張、福井県三国町)塗装:村上健太郎(浜松市)・障子、車輪=村松菊郎(南町)車輪:村松利雄(仲町)御廉の社名揮毫(きごう):杭迫柏樹(森町本町出身)

基本情報

読みすいさいしゃ(ほんまち)
落成年昭和55年10月
社名の由来「泉湧くところ水は哉なり」の言葉からとったという説もある。
工匠太田昭夫(本町)
彫刻志村孝士(二代目流張、福井県三国町)
塗装村上健太郎(浜松市)・障子、車輪=村松菊郎(南町)
車輪村松利雄(仲町)
御廉の社名揮毫杭迫柏樹(京都市=本町出身)
備考金具は村井幸雄(愛知県刈谷市)。御廉脇彫刻は旧屋台の彫刻画題を受け継ぎ「須佐之男之命八俣大蛇退治」に。後支輪の彫刻は、庚申の年の落成ということから「三猿の図」を。昭和50年代、新屋台建設気運の先駆けとなり製作された、雄渾、典雅な屋台である。(旧屋台)大正11年に作製されたもので、昭和55年に大門(鳳雲社)に譲渡、その後、平成元年に菊川町へ。

出典:森の祭り(森の巻) p.48

この屋台の写真(2枚)

彫刻

七福神 (後欄間)

幸福を招くという七体の神様のことで、七体の組合せは時代によって異なっています。七人を組合わせたわけは、「竹林の七賢人」にならったとか、お経の「七難即滅、七福即生」という言葉に基づいたものだとか言われています。

七福神の信仰は、商業の盛んになった室町時代の終わり頃から始まり、江戸時代に入ると「七福神詣り」といって、元日から七日迄に一年の福運を祈るため七福神を祀った寺社を巡拝することが流行したということです。

七福神−①「恵美須(エビス)」

エビスは大黒と並んで福の神の代表とされています。

エビスは、恵比寿・戎・夷などとも書かれ、これは異邦人(よその国の人)を意味している言葉です。そこから、エビスとは、よその土地からやってきて幸をもたらす客神をさすものといえるでしょう。

また、イザナギ・イザナミの三番めの子供で、三歳になっても脚がたたず葦舟にのせ海に流され、その後、摂津国西宮の海岸に流れ着き西宮の祭神となった「蛭子命(ヒルコノミコト)」が、エビスであるとも言われ、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供で、大の釣好きの「事代主命(コトシロヌシノミコト)」がそうであるとも言われています。エビスは、豊漁をもたらす神、航海の守護神とされる他、市場の神、商業の神ともなり福の神の一人として祀られてきました。一月・十月の二十日は恵比寿講の日とし農業、山の神としての信仰も集めています。

七福神−②「大黒天(ダイコクテン)」

ダイコクテンは、大黒大神という仏教の守護神でその前はヒンズー教の神様であったそうです。

昔、中国南方の寺では、厨(台所)にダイコクテンを祀っていました。伝教大師がそれを日本に持ち帰り、比叡山延暦寺に祀ったのが広まったとも言われています。

さらに、「大黒」と「大国」の字音が同じであるため、いつのまにか日本神話に出てくる大国主命(オオクニヌシノミコト)と合わさって、もとはすっかり違った、肩に大きな袋を背負い右手に打出の小槌を持って米俵にのった、日本的なダイコクテンが作り上げられたものといえるでしょう。

(③寿老人・④福禄寿はP59、⑤毘沙門天・⑥弁財天はP91、⑦布袋はP108に)

出典:森の祭り(森の巻) p.50-51(書き起こし・書き起こし(未校正))

牡丹に山鵲鳥(さんじゃくちょう) (脇障子、左右)

山鵲鳥……大型で尾が長い鳥、頭は灰白色、顔からのどにかけては黒、翼・尾は灰青色で下面は白。中国の大部分に分布。おめでたい鳥とされている。

出典:森の祭り(森の巻) p.51(書き起こし・書き起こし(未校正))

龍 (左欄間・右欄間)

(キャプションのみ)

出典:森の祭り(森の巻) p.51(書き起こし・書き起こし(未校正))

三猿(見ざる・聞かざる・言わざる) (後支輪)

人間は、とかく、人のよくないところを聞いたり、見たり、言ったりしがちなものです。

そこで、それを戒めるために「見ざる、聞かざる、言わざる」という諺が生まれました。

この諺の中の、「ざる」と語呂が同じの「猿」が結びつけられ、目や耳や口を押さえている三匹の猿のスタイルが生まれました。

また、人間の腹の中には、「三尸(さんし)」と言う三匹の虫のようなものがいて庚申(こうしん)の日の夜、人が眠るのを待って天に昇り、天の神様にその人の悪いところを言いつけるという言い伝えがあります。

そこで、自分の悪口を言いつけられないように庚申の日の夜は、みんな寝ずに過ごすという風習が広がりました。

自分の、悪いところは見ない、聞かない言わないようにしてほしいという願いと、庚申の「申(さる)」がむすびついてできてきたものとも言われています。

出典:森の祭り(森の巻) p.52(書き起こし・書き起こし(未校正))

花鳥 (支輪(前・左右))

(キャプションのみ)

出典:森の祭り(森の巻) p.53-54(書き起こし・書き起こし(未校正))

親子 獅子 (腰長押)

(キャプションのみ)

出典:森の祭り(森の巻) p.54(書き起こし・書き起こし(未校正))

欄間

御廉脇

木鼻