葛布の赤牛 (後欄間)
葛布の村の奥の方の山中に美しい滝があります。
昔から、この滝には「滝の主」が住んでいて、日照りの時に村人が雨ごいをすると雨を降らせてくれると言われていました。
今から三百年ぐらい前の夏のこと、その年はひどい日照り続きで村中の田んぼも畑もからからに干からびてしまい、このままでは米一粒もとれそうにない状態です。村に住んでいる、人のいい黒兵衛が、村人達にお供え物等を用意し大勢で滝に出かけ、雨ごいのお祈りをしました。しかし、せっかくのお祈りもきまぐれで、ばらばらと雨つぶが落ちてきたかと思うと、また、もとのかんかん照りにもどってしまいました。
みんなの困り切った様子を見かねた黒兵衛は、何事か決意すると、離れの小屋にしいてある古く汚い「むしろ」をひっぱだして、それにこそこらに散らばっていた汚いごみなどを包むと、滝に向かって走りだしました。滝についた黒兵衛は、持ってきた汚いむしろを滝つぼに投げ込むと、何かぶつぶつ言いながら腰のあたりまで水につかって両足でむしろを踏みつけました。一瞬あたりに汚れた水が広がりそれが滝つぼにすいこまれると、またもとに戻りました。これを見た黒兵衛は大きくうなずくといそいで家にむかいました。
黒兵衛が家に近付く頃には、黒い雲が出たかなと思う間もなく空一面に広がり大粒の雨が落ちてきました。雨は土砂降りになり、かみなりも鳴りはじめました。激しい雨でにごった川の水はどんどんと勢いを増してきます。村の人たちは最初は喜んでいましたが、あまりの激しさに次第に不安になっていきました。黒兵衛が「ちょっと、ききすぎたかな。」そう思った時です。物凄い音がして、それと同時に、荒れ狂ったような水の流れの中を、大きな赤牛が大蛇を背中にのせて下ってくるではありませんか。さてはあれが滝の主であったのかと思って見ていた黒兵衛に向って「黒兵衛、さらばじゃ」と不気味な声をかけると激しい流れに乗って大雨の中を下の方に消えていきました。
その時です、黒兵衛は何かで打ちのめされたように雨のなかに急に倒れ、うわごとを言い続け、そのまま息をひきとってしまいました。
次の日の朝、大雨は止んでいました。村の人たちは、一人で命がけで雨ごいをしてくれた黒兵衛に感謝をしながらねんごろに葬式を行ったということです。
本のスキャン(仮)p.25葛布の赤牛(赤牛に乗って沢を下る竜神) 調査中
欄間 後 解説 p.25-26
地元の伝説。基本情報の備考にも記載
出典:屋台物語 北の巻 p.25-26(書き起こし・書き起こし(未校正))
倭建命(ヤマトタケルノミコト)の熊襲建(クマソタケル)退治 (前欄間)
第12代の景行天皇は、偉大な体格をしていて、その子供は80人もいました。その80人のうち若帯日子命(ワカタラシヒコノミコト)と、小碓命(オウスノミコト)、それともう一人の皇子の三人を残し、すべての子供をそれぞれの地方へ役人として遣わしました。
しかし、天皇は、オウスノミコトの特別に荒い気性を恐ろしく思われ、そばから遠ざけようと考えるようになりました。
「実は、西国に熊襲建(クマソタケル)という荒くれた兄弟がいる。二人とも私の命令に従わない無礼者だ。行って、討ちとってこい。」と、オウスノミコトに命じました。
この時、オウスノミコトは額で髪を結った、まだ15・6歳の少年でしたが少しも恐れることもなく、すぐに支度をして出発しました。
途中、伊勢の皇大神宮にいる叔母の倭媛(ヤマトヒメ)にお別れを言うために立ち寄りました。ヤマトヒメは、やさしくいたわり、自分の衣裳一揃いと懐剣をお別れに与えました。
ようやく、熊襲に着いて、クマソタケルの家へ近付いてみると、家のまわりへは軍勢を三重にも立て囲ませているという状態です。様子をうかがうと、厳重な警戒の中では、もうじき出来上がる新しい館の新築祝いの宴会の準備中です。
いよいよ宴会の日、ミコトは髪を少女のように結いなおし、叔母からもらった衣裳を着、すっかり少女の姿になり、他の女に混じってタケルたちの宴会の部屋に入りこみました。
ミコトを本当の女と思ったクマソタケル兄弟は、その姿の美しいのが気に入って自分たちの間に座らせ、酒をつがせ喜んで飲んでいました。
ミコトは、みんなが酔ってきたのを見計らって、そっと懐から剣を取出し、いきなり兄のクマソタケルの胸をひと突きに突き通しました。それを見た弟のタケルは、あわてて部屋の外へ逃げようとしました。ミコトは、そうはさせまいと、階段の下へ追い詰めると片手で背中をつかみ尻を突き刺しました。弟のタケルは、じたばたするのを止め「どうぞその刀を動かさないでください、申しあげたいことがあります。」手を止めたミコトに「あなたは、いったいどなたでございますか。」きかれたタケルは、「おれは、大和で天下を治めている大帯日子(オオタラシヒコ)天皇の皇子、倭童男王(ヤマトオグナノミコト)という者だ。お前たちが天皇の命令に従わず、無礼なふるまいをするのでやっつけるためにやってきたのだ。」と、勇ましく名乗りました。「なるほど、やはりそういう方であったのですか。西の国には私たちより強い者は一人もいません。大和にはまったくすばらしい方がおられたものだ。おそれながら、私があなたに倭建命(ヤマトタケルノミコト)という名前をさしあげましょう。」と言いました。
ミコトは、タケルがそう言い終わるやいなや、まくわ瓜を切るようにぶすぶすと切ってしまいました。それからは、みんなミコトのことを「倭建命(ヤマトタケルノミコト)」と呼ぶようになりました。
出典:屋台物語 北の巻 p.26-27(書き起こし・書き起こし(未校正))
風神・雷神 (左右欄間)
風神・雷神についてはP.43参照
出典:屋台物語 北の巻 p.27(書き起こし・書き起こし(未校正))
倭建命(ヤマトタケルノミコト)と弟橘媛(オトタチバナヒメ) (御簾脇、左右)
西国のクマソを平らげた倭タケルノミコトは、大和へ引き返す途中でも出雲タケルをはじめ、各地の多くの悪者を平らげました。
無事に帰ってきた倭タケルにむかって天皇は、「今度は東の方の十二ヵ国の悪い神や、命令を聞かない悪者どもを従えてまいれ。」と、ひいらぎの木で作った矛を与えて命令しました。また、途中で伊勢に立ち寄ったタケルは、「天皇はわたしが早く死ねばいいと思っているようだ。」と泣きながら叔母のヤマトヒメに訴えました。
つぎつぎに賊を平らげながら相模の国(今の神奈川県)についた時、そこの役人の国造(くにのみやつこ)に危うく野原の真ん中で焼き殺されそうになりました。けれども、叔母からもらった火打ち石と草薙の剣のおかげで助かることが出来ました。
次に、ミコトは相模半島から上総(今の千葉県)へ船で出発しました。その途中、そこの海の神が不意に大波を立て、海一面を大荒れにしました。ミコトの乗った船はくるくる回ってしまい、進むこともどもることもまったくできません。
その時、ミコトが連れていたオトタチバナヒメは、「こんなに急に海が荒れ狂うのは、きっと海の神のたたりにちがいありません。わたしがあなたの身代わりに海に沈んで海の神の怒りを鎮めましょう。あなたは、どうか天皇に言い付けられたことをしっかりとやりとげ、無事に大和へお帰りください。」といい、菅畳八枚、皮畳八枚、絹畳八枚を重ねて波の上に下ろすとその上に飛び下り、その姿はたちまち波の間に消えていきました。そのとたん、今まで荒れ狂っていた海が急に静まって、船は無事に上総に着くことができました。 目的をやり遂げたミコトは足柄山の坂の頂上に登り、東の海を眺めながら、哀れなオトタチバナヒメを思い起し「あずまはや(ああ、なつかしい吾が妻よ)」と言って嘆きました。それからこのあたりの国々を「あずま(吾妻・東)」というようになったということです。
本のスキャン(仮)p.28倭建命と弟橘媛(火の中でヒメを気遣うヤマトタケル) 調査中
御簾脇 左 解説 p.28
見出し「倭建命と弟橘媛(御簾脇 左右)」。写真は頁の左
本のスキャン(仮)p.28倭建命と弟橘媛(海中に身を投ずるオトタチバナヒメ) 調査中
御簾脇 右 解説 p.28
写真は頁の右
出典:屋台物語 北の巻 p.28(書き起こし・書き起こし(未校正))
波に遊ぶ鯉/獅子 (腰長押・木鼻)
(キャプションのみ)
出典:屋台物語 北の巻 p.29(書き起こし・書き起こし(未校正))