二十四孝 楊香(ようこう)
中国で、昔からの特に親孝行であった子供の話24人を選びその様子を書いて伝えたもので、中国の元の時代に郭居敬(郭居業)が選んだ24人の話を中心に、他の人の選んだものもいろいろあるということです。
「楊香(ようこう)」
昔、中国の晋の時代に「楊香」という人がいました。
彼が14歳の時のある日、父親と一緒に畑仕事に出かけました。父を助けて一生懸命働いていました。すると、突然、大きな虎が山の中から出てきて父親に噛みつこうと走ってきました。その時のことです、楊香が、我が身の危険をもかえりみず虎に向って走りより、父親にとびかかろうとした虎の首に両手でしがみつきました。捨身の楊香の行動に驚いた虎は、父親に噛みつくのをやめ、首にしがみついた楊香も振り落とすと山の中に姿を隠してしまいました。この勇気ある楊香の行動によって父親は虎に食われず、危うく命は助かりました。
この解説が載っている箇所:稲盛社(一ノ瀬・大府川) 北の巻 p.78
書き起こし・書き起こし(未校正)。文章は各箇所でほぼ同じ内容。細かな表記の違いは各屋台のページで確認できます。
二十四孝①郭巨(かくきょ)
二十四孝
中国で、昔からの大変に親孝行だったという子供を24人選び、その話を集め書いたものです。中国の元の時代に郭居敬(郭居業)という人が選んだ子供24人の話を中心に、ほかに他の人が選んだというものもいろいろあるということです。
二十四孝……①「郭巨(かくきょ)」(後欄間)
昔、中国の漢の時代に「郭巨」という人がいました。
一家は老母と夫婦の三人で仲良く暮らしていましたが大変に貧乏でした。そのうちに、子供が一人生まれたので生活はますます苦しくなりました。ちょうどその頃、病弱の母親の状態が大変悪くなってしまいました。お金が無いために医者に見てもらうことも出来ないし、薬を買うことも出来ません。夫婦で商売に励んでもたいしたお金は入りません。いくら考えてもいい方法は見つかりません。いよいよ仕方なく自分たちのかわいい子供を他人に売ってお金を手に入れるしかないと決めました。
それでも、もし母親の病気に効く薬草でもあればと、夫婦で裏庭のあちこちの草の根を鍬で掘り続けました。そのうちに、母を助けたい一心で黙り続ける鍬の先がカチンと何かにあたった音がしました。不思議に思って音がしたあたりを掘ってみると、きらきら光る黄金が出てきました。この黄金のおかげで年老いた母の病気を治すことができ、子供も売らずにすみました。
この解説が載っている箇所:浅草舘(市場) 南の巻 p.68
書き起こし・書き起こし(未校正)。文章は各箇所でほぼ同じ内容。細かな表記の違いは各屋台のページで確認できます。
二十四孝②姚舜(とうしゅん)
昔、中国に「姚舜(とうしゅん)」という皇帝がいました。この皇帝は、もともとは目の不自由な父親の子でした。母親が早く死んだので、継母からひどい扱いをされながら育ちました。継母が生んだ弟もいばって舜につらくあたりました。しかしそれでも舜は、何一つ文句を言わず、父や継母に孝行をつくし、兄弟にはやさしくしました。
舜の家には、歴山というところに先祖から伝わった田畑がありました。舜は、朝早くから夕方遅くまでこの田畑を耕す仕事に精を出しました。
すると、舜の親孝行に感心したのか、山の中からいろいろな鳥や動物たちが出てきては、舜の仕事を一生懸命手伝い始めました。
舜の親孝行の行いは彼が成長するにつれ、国中に伝わり人々に認められました。そして、ついにもそのときの皇帝「尭帝」の耳にも入りました。感動した尭帝は、この人物ならばと皇帝の位を舜に譲ったということです。
この解説が載っている箇所:浅草舘(市場) 南の巻 p.69
書き起こし・書き起こし(未校正)。文章は各箇所でほぼ同じ内容。細かな表記の違いは各屋台のページで確認できます。
二十四孝③孟宗(もうそう)
三国時代に、名は「孟宗」、俗名は「恭武」という人がいました。幼いときに父に死に別れ、年老いた母親と二人で暮らしていました。しかも年老いた母親は重い病気で、もう先が見えているという状態でした。
ある夜、この母親が「筍(たけのこ)をどうしても食べたい。」と言い出しました。季節はちょうど真冬で、大雪が降っています。筍は、春暖かくなると生えてくるもので、真冬には、探したって見つかるはずがありません。
けれども、親孝行の孟宗は、夜中に吹雪の中を筍を探しに出かけました。雪の積もった下に筍などあるはずがありません。しかし、孟宗はいつ死ぬかわからない母親に何とか食べさせてやりたい一心で、竹やぶの中を雪をかきわけかきわけ鍬であたりを掘り、探しました。
けれど見つけることは出来ません。とうとう力つきた孟宗は、雪のうえに座り込み、一本の太い竹にしがみついて「病気の母が生きてるうちに筍を食べさせてやれないのが残念だ。」と、大声を上げて泣きだしました。大粒の涙が雪の上に、はらはらと落ちました。
すると、不思議なことに、孟宗の目の前の雪がごそごそと動きだしたかと思う間もなく、地面が割れ、そこに真新しい筍が何本か生えてきたのです。夢ではないかと、大喜びの孟宗はこの筍を掘って帰り、母親に食べさせることが出来ました。母親の病気も、この時から奇跡的によくなり、すっかり治ったということです。(今も、日本の竹やぶの太い竹に「孟宗竹」という種類があります。私たちがよく食べる筍は孟宗竹の筍です。)
この解説が載っている箇所:草栄社(草ケ谷) 南の巻 p.120-121
書き起こし・書き起こし(未校正)。文章は各箇所でほぼ同じ内容。細かな表記の違いは各屋台のページで確認できます。
二十四孝④王祥(おうしょう)
晋の時代に、「王祥」という人がいました。母親を早くなくし、父親が再婚したために、後妻の朱氏という人が王祥の継母となりました。この継母の朱氏は大変なわがままな人でした。けれども王祥は、生母の時と同じように継母にも親孝行をして過ごしました。
ある日のこと、この継母が「いきのよい魚を食べたい。」といいだしてききません。季節は真冬、寒さの最も厳しい頃のことです。
それでも王祥は、なんとかして継母のこの希望をかなえてやりたいと、池に出かけていきました。池についてみると、寒さの厳しい真冬のこと、水面はどこからどこまでもびっしりとぶあつい氷がはっていて、魚など捕るどころではありません。
途方にくれて立ちすくんでいた王祥は、やにわに衣服を脱ぎ捨て裸になりました。そして裸のまま氷の上に腹ばいになりました。自分の体温で氷をとかそうというのです。
「私の母親が、いきのいい魚を食べたいといっています。なんとかして魚を捕らせてください。」天に向って一心に祈りました。 雪も降り積もっています。体温などで氷がとけるはずはありません。
ところがどうでしょう、突然目の前の氷に一ヶ所、ぽっかりと穴があいたではありませんか。穴があいたと見る間に、今度はそこから大きな鯉が二匹水の上に躍り上がってきました。
王祥は、大喜びで、天に感謝をしながら、その鯉を家に持ち帰り、継母に煮て食べさせることができたということです。
この解説が載っている箇所:草栄社(草ケ谷) 南の巻 p.121
書き起こし・書き起こし(未校正)。文章は各箇所でほぼ同じ内容。細かな表記の違いは各屋台のページで確認できます。